公園からさらわれた猫

うちの猫は「パルク」という。いまでは短縮化され、もっぱら「パル」としか呼んでいないが、本名はパルクだ。公園で拾ったので、そう名付けた。

「拾った」と書いたが、私の中では少し違和感がある。小石でも拾うように、ちょっと立ち止まってひょいとポケットに入れたわけではない。あるいは、段ボール箱に入れられ捨てられていた猫なら、拾ったという表現は妥当かもしれないが、そういうわけでもない。パルクはそこで暮らしていた生き物だ。「さらった」という方が、実態に近いと思う。それでは偽悪的に過ぎるというのなら「強引に連れてきた」というところか。

うちからほど近いその公園には、何匹かの野良猫が住み着いており、昼間はあまり見かけないのだが、夜になると我が物顔で闊歩したり、恋を歌ったり、集会を開いたりしている。どの猫もみな健康そうに太っているのは、エサをやる人がいるからだ。

公園には「エサの放置をやめましょう」という趣旨の掲示がある。「猫にエサをやらないでください」ではない。「 放置をやめましょう 」だ。

エサをやるのは構わないけど、置きっぱなしにされて残ると不衛生だし、カラスやネズミも集まるかもしれない。猫が食べられる分だけやって、残したりしたら後片付けはちゃんとしてください、ということであろう。自分もたまにエサをやっていた。

野良の成猫は、たまにエサをやったくらいで、デレデレとなつくようなことはない。気位が高いのだ。せいぜい、こちらの顔を見てもあわてては逃げない、というくらいのものだが、それでもなんとなく顔見知りのような雰囲気にはなる。

ある晩、いつもの成猫たちに交ざって、初めて見る仔猫が2匹いた。キジトラと黒ブチだ。都市部で、野良の仔猫を見るのは珍しいと思う。仔猫と言っても、片手のひらに乗るような、生後1、2か月くらいの子ではない。ぱっと見、大人猫に比べると2まわり小さい感じで、痩せていた。

ためしに、木の枝を拾ってじゃらしてやると、夢中でじゃれついて遊んでくる。成猫ではこうはいかない。遊びたくてたまらないといった様子は、やはり成猫とは違っていて、特有のかわいらしさがある。2匹でじゃれあうので、たぶん兄弟なのだろう。 しばらく見ていたが、親らしき猫はいない。もう親離れはしている齢のようだ。あまり人を怖がらないので、もしかしたら捨て猫なのかもしれない。

翌日の夜、同じところに行くと、キジトラだけがいた。エサをやり、昨日と同じようにしばらくじゃらして遊んでいたが、黒ブチは現れない。そのうち、キジトラはベンチに座っている私の膝の上に乗ってくるようになった。なぜだかザラザラしている背中を撫でても、逃げない。どころか、気持ちよさそうにのんびりしている。その顔を見て「連れて帰ろう」と思った。客観的に見れば、拉致と呼ぶのがふさわしい。

その夜は、段ボールで急ごしらえの寝床を用意し、そこで寝てもらった。

はじめてうちにきた晩のパルク。物怖じしない性格らしく、すぐに熟睡していた。